与 勇輝(あたえゆうき)は本名です。
神奈川県川崎市で7人兄弟の下から二番目に生まれました。
竹かごや桶、木のスプーンなど家の中の物すべてを手作りする父と、手芸、裁縫を得意とする母や姉たちに囲まれた子ども時代。絵を描くことや工作が大好きで、見よう見まねで服の継ぎ当てや布製のカバンの補修をし、足袋まで作ってしまう手先の器用な少年でした。
商業高校中退後、義兄に勧められた就職先はマネキン製造会社でした。与にとってこの彫刻的なマネキン製作の仕事は張り合いがあり、 後にこのマネキンづくりの技法が人形創作に大いに役立つこととなります。
10年ほどすると工業化が進み、樹脂を型に流し込む製造法に変わったことで従来の仕事の面白さを失い、なにか自分を出せるものを作りたいと思うようになっていた矢先、人形作家・曽山武彦氏の木毛と綿のほのぼのとした人形と出会います。すぐに人形づくりにのめり込むようになり、試行錯誤の結果、昔のマネキンの製作技法を取り入れた独自の手法を編み出します。
33歳頃にはグループ展への出品や人形絵本の制作などに携わるようになり、劇作家の飯沢 匡氏や彫刻家の佐藤忠良氏に励まされ、人形作家としての今に至ります。
幼い頃からつくることが大好きな与にとって、人形づくりはまさに天職なのです。
与がつくる物語の登場人物や懐かしい着物姿、日常の光景、幻想的な妖精の人形たち。そのほとんどは自然体で生き生きとした子どもたちです。
8歳の時に終戦を迎え、世の中の混乱と荒廃の中で一生懸命に生き抜く人々を見て育った与には「記憶の中にまだ残っている当時のことを、愛惜の思いを込めながら、人形という形にしたい」という思いが強くあります。
着物姿の子どもの作品は、混乱の最中も明るさを失わずに自然の中へ溶け込むようにして遊んだ当時の子どもたちをイメージしたり、与自身の思い出を重ね合わせているのです。
小さな妖精の作品は与が描いた心象風景の中の生きもの、自由と夢想の世界に棲む妖精です。
与の夢の中に出てくる妖精の大きさは20センチくらいだそうです。
ひとつひとつに作者の想いが詰め込まれたこれらの作品たちは、時代や着ている物は違っていても中身は同じです。
純粋無垢、動物的にということを頭に置き、子どもと同じ目線、子どもに同化してつくるように心がけられ、嬉しさや悲しみ、淋しさなどが入り混じった人間そのものが表現されています。
与にとって人形とは、自分を凝縮させて姿形を変えた分身であり、心の奥にある変身願望の現れでもあります。
つまり外見も内面もよく映し出す鏡なのです。自分自身から目を背けずに向かい合わなければ、分身をつくり出すことはできません。自分と闘うその苦しみは、つくるというより、母親のように生み出す作業とも言えるのです。
いくつか平行してつくることもありますが、作品1体につき平均3~4週間は費やし、年間10体ほど生まれる子どもたち。過去の作品からは当時の自分が見え、日記のようで照れくさいそうです。
着物や洋服はもちろん、帽子やわらじなどの小物から椿の花やイチョウの葉に至るまで、すべて本人の手づくりです。
材料からこだわり、用いられる布のほとんどは木綿です。
木綿は「ひだ」がつくりやすく微妙な動きが出せるのが特徴です。作者は木綿特有の肌触りや味わいのある「ひだ」を大事にしています。
そのため布選びはとても大切で、作品に合うイメージの布が見つかるまで探し、時に待ちます。部屋には画家でいえば絵の具と同じようにあらゆる色や柄の布が積み上げられ、自身で染め直したりします。
人形の大きさに合った柄の小さい布を探すのも苦労するそうです。