EXHIBITION

両洋の眼 2009

2009年6月20日(土)-8月30日(日)
会期中無休

両洋の眼 2009 第20回記念展

この展覧会のタイトル、『両洋の眼』とは西洋の眼でなくまた東洋の眼でもない、しいて言えば人間の眼を意味します。我が国では絵画を、技法や素材によって日本画と洋画とに区別して考えますが、今日において、すでにある意味ではこの区別がなくなりつつある兆しもみられます。『両洋の眼』は、和洋の垣根にとらわれず、多種多様な絵画表現をひとつのまなざし、ひとつの感性で観ようというスローガンのもとに、第一線で活躍する画家たちの最新作を発表してきました。そしてこのたび、1990年の第1回展立ち上げ以来20年の長きわたって展開してきた美術運動『両洋の眼』は、この第20回展をもって終止符を打ち、終了いたします。最終回となる今回の『両洋の眼2009』では95名の画家をとりあげます。

シンボルマークについて
日本絵画においての「日本画」「洋画」を、ひとつの眼差しでみる展覧会、その意味通りをかたちにしました。外側のラインは眉、中側は瞼、上の眉と瞼は東洋(西洋)、下の眉と瞼は西洋(東洋)を表し、それらが全体として1つにオーバーラップして見えるようにデザインしてあります。眼球は2つあり、離れずつながっているところに意味があります。1つのようで2つ、2つのようで1つ、上下を逆さにしても同じに見える両洋の眼。展覧会のテーマは、この"眼"に集約されていないでしょうか。 早川良雄(グラフィックデザイナー)

ごあいさつ
今年2009年の『両洋の眼』は、第20回展の節目に当たるので、この長期継続を祝う意味から、絵画美の祝祭展とすることになった。そして賑やかに活気づけたいがために、過去19年間に出品した大勢の作家の方々に呼びかけて、参加を依頼した。結果は都合がつかず不出品というのもあったが、8割方は承諾し、出展してくれて、その数100点に近く、従来を大幅に上回るに至っている。
作品の大きさは50号を上限にし、一回り小ぶりになっているが、旧臘の下見会で接した限りでは、その大きさで従来に一向に遜色がない。いや、熟練度高い冴えた技巧の作柄が続き、意欲作、実験作も随所にあって、しかも作家の顔ぶれが思いがけないのに及んで、バラエティー実に豊かだ。これは即ち見せ所多々ということであり、第20回展の祝い展にふさわしいと言わなくてはならない。よって委員側は、これを善しとし、まことに喜ばしく嬉しく感じ、意を強くしたことであった。
しかしながらもう一つ、報告せねばならないのは、2009年『両洋の眼』をもって、この美術運動展も終止符を打ち、第20回展は即フィナーレ展となる、ということだ。理由は、作家側の大半が継続を望み、会場側もこの回で終わるとは思っていなかったであろうが、主催の『両洋の眼』委員会そのものが、持続するだけの組織体制を喪失しているせいである。人は、肉体で成っている限り、終わりがある。体調や社会的立場から任務を去らざるを得ないこともある。『両洋の眼』の委員会も委員7人で1989年に始まったが、河北倫明初代委員長は1995年に逝き、小倉忠夫次代委員長は体調を崩されて2002年に辞任。2003年就任の石川健次委員は勤務先の事情で在籍が出来なくなり、2006年に去った。次いで2008年は米倉守、藤慶之の両委員が相次いで他界している。従って残っているのは、富山秀男委員長に草薙奈津子、瀧悌三両委員の計3名のみ。これでは、『両洋の眼』を擁するに委員体制がとても足りない。ためにこの美術運動も幕を引かない訳にいかないのである。もっとも終わるからと言って、「苦」とか「悲」とかには当たらない。仏教の教義の偈に曰く。寂滅為楽と。『両洋の眼』は、運動体として、世紀末10年、新世紀初め10年と、計20年、日本の絵画の活動に場を提供し、両世紀の架橋役を果たし、歴史的には使命を充分尽くしている、と委員会は思う。だからこのフィナーレは、寂滅為楽の「楽」なのであり、祝すに値する。決して悲しむべきに非ずなのだ。よって20回展はフィナーレ祝展であり、20回記念とフィナーレ記念のダブル祝典行事である。大いに喜ばしく、大いに嬉しく、幸い感限りない、と天を仰いで言うとしよう。こういう異例の実状だから、今回展は、河北倫明賞もなければ、委員や会場側の図録寄稿エッセーがほとんどない。やむを得ない事として、大方の御海容を得たい。
それにつけても、20年も長く続いたのは、画檀の作家の方々における強力な賛同・協力と、会場側の百貨店、美術館、地方自治体等における行き届いた理解と支援があったればこそである。これら作家及び会場側各方面の方々に対し、ここに頭を垂れて、深く深く感謝の気持ちを申し上げるものであります。有難うございました。
両洋の眼委員会
(『両洋の眼2009』 図録より)


1984年以来、多くの俊秀洋画家たちが活躍した「日本青年画家展」が発展的に解消し、本年から新しく『両洋の眼』展が開催の運びとなった、その発足に当たり、この展覧会への期待と願望を捧げる。展覧会の名前として『両洋の眼』という特色ある言葉を提案したY委員のセンスにまず拍手を送るが、同時にこの名称の中に私どもの目ざすところが鮮度ゆたかに含まれていることを思わずにはいられない。『両洋の眼』はいわゆる西洋の眼でなく、東洋の眼でもない。ひろくその両洋を貫通する眼であり、つまりは「日本の眼」である。先年、上野の西洋美術館でフランスでまとめた「ジャポニスム」展がひらかれ、愛好家の関心をあつめたが、あのジャポニスムの時代は、わが国ではいわゆる文明開化の時代に当たった。当時はまだ「東は東、西は西」の時 代であったから、一方ではジャポニスムの動向を生み、他方では文明開化の展開となったが、これらを一括して地球的にとらえれば、つまりは『両洋の眼』時代の幕開けだったと考えることができる。そうしてみると『両洋の眼』こそは、まさしく21世紀の眼というのにふさわしい。今世紀の世界的な様々な変動、ゴルバチョフのペレストロイカあたりまで移る動向の中から次第に昇華されていく消化と絞り、そうした中から遥かに人間の運命を予感しつつも新しく『両洋の眼』の誕生があちこちで期待されているといってよかろう。もちろん、そうした新しい眼はまだ具体化しているわけではない。模紫の彼方に浮かび上がろうとしているだけである。誰がまずしかとそれを掴むのか。誰がまずそれに形を与えるのか。意欲と美心にめぐまれる 作家たちにとって、これほど魅惑的な獲物はないかもしれない。日本画家か、洋画家か、そんなことは問題ではない。人類の新しい世紀の頼みがいのある美観をどのように切りひらくか。この『両洋の眼』展に参加する諸兄には、目先の在り来たりの狙い以上の高い目標が必ずあると信じている。私どもは全員でその具象を楽しみにしている。各人各様、どうか頑張って下さい。
(1990年『両洋の眼』 図録より)
『両洋の眼』は21世紀の眼 河北倫明

展覧会基本情報

Exihibition Information

会期
2009年6月20日(土)-8月30日(日)
会期中無休
会場
河口湖美術館
開館時間
9:30-17:00(入館は16:30まで)
入館料
一般・大学生 800(720)/高校生・中学生 500(450) ※( )内は8名以上の団体料金
主催
河口湖美術館/両洋の眼委員会 http://www.ryoyonome.org
協力
東邦アート/東京マルイ美術
出品作家
青木敏郎・太田冬美・浅野均・有田巧・有元容子・大津英敏・河嶋淳司・川村悦子・大沼映夫・菊地武彦・大野俊明・北田克己・安西大・池口史子・井澤幸三・石井礼子・大畑稔浩・岡村桂三郎・奥村美佳・笠井誠一・北野治男・絹谷幸二・木村圭吾・國司華子・酒井信義・櫻井孝美・佐々木豐・佐藤泰生・佐野ぬい・島田鮎子・島田章三・下田義寛・菅原健彦・諏訪敦・千々岩修・広田稔・藪野健・司修・千住博・高橋秀・高橋幸彦・滝純一・滝沢具幸・津田一江・豊島弘尚・中島千波・中野嘉之・西田俊英・武田州左・石踊達哉・カジ・ギャスディン・久野和洋・猪熊佳子・加藤良造・栗原一郎・内田あぐり・金森宰司・小杉小二郎・遠藤彰子・金森良泰・斉藤典彦・新恵美佐子・吹田恭啓・末永敏明・菅原さちよ・谷川泰宏・野村義照・箱崎睦昌・玉川信一・林敬二・福井江太郎・福田美蘭・福本章・松尾敏男・松村公嗣・三浦明範・宮いつき・室越健美・元永定正・山羽斌士・山村博男・山本明比古・山本治・山本貞・山本直彰・吉川弘・米谷清和・渡辺恂三・田村能里子・崔恩景・平岡靖弘・平松礼二・森本勇・柳沢正人・わたなべゆう(95名)

これまでの展覧会

SINCE1991.04.14