11/13(土)-12/23(日)
火曜日 11/23(祝)は火曜日ですが開館します ※12月は9:30-16:30(入館は16:00まで)
企画展として「北麓アートファイル」を立ち上げました。対象としては富士山北麓地域に関わりのあるアーティスト。タイトルに示すとおり、アートをファイリングする活動です。北麓を拠点に現在進行形で制作している人、夢を追いつづけて生を終えられ先人となられた方、今も遠くで故郷を想いながら戦っているあの人この人... それらひとつひとつを文字通り綴り重ねてゆきます。町立の美術館でやるのですから富士河口湖町アートファイルと考えるのが自然なのでしょうけれどしかし作家人口、というよりもそもそもの絶対人口から考えれば早晩ネタがつきてしまうのではという心配があります。ならば永続きできるようにはじめからエリアを広めに構えて、どこからどこまでというはっきりした境界を限定しなさそうな、まあ、場合場合で好きなように解釈できそうなやわらかい「北麓」という言葉をあえて採択しました。周知のように山梨県はいくつかの地域に区分けして考えられていてその中のひとつに私たちの生活域を示す「郡内」という枠組みがありますが、この呼称は中世から使われている行政用語で制度的な意味合いを感じるけれど、これがはたしてこんにちの文化圏を示す括りとしてふさわしいだろうか?という疑問をぬぐいきれません。ことばづらとしても「郡内アートファイル」「富士五湖アートファイル」だと濁音がはいってアクっぽい印象がする。頭に富士をつけて「富士北麓アートファイル」でもいいような気もしますが長くていいづらい。「山梨県東部富士五湖アートファイル」ではちょっとねえ、天気予報じゃないのですから....。 Hokuroku Art File なら三拍子がリズミカルで気持ちがいいし唇のすべりもスムーズだと思いました。
一般的に山のふもとのことを岳麓といい、山の北側のことを北麓という言い方で表現します。富士山周辺でこの北麓という言葉がいつごろから使われだしたのか誰がいい始めたのか実はまだ調べきれていません。江戸時代にはそういう言い方はなくて早くても近代になってからのことでしょう。どなたか詳しくご存じの方はご教示いただければ幸甚です。ちなみにですが静岡県の富士市やその周辺あたりには富士山の南側を意味する言葉で「岳南(がくなん)」という表現があってそれを名称に採り入れている企業や団体もあるそうで、尋ねてみると製紙産業の勃興とともに使われるようになった言い方らしいのだけれどあらためて考えてみると由来や根拠がどうもよくわからない、と話に聞きます。
閑話休題。今回は4人の作家に出品をお願いしてFileNo.1から4とさせていただきました。日本画家で院展の本間正英さん、安井賞作家の櫻井孝美さん、まんが日本昔ばなしの前田康成さん、切り絵の百鬼丸さんです。一方的な呼びかけにもかかわらずいずれも快く聞き入れてくださいました、厚くお礼申し上げます。
北麓アートファイルは、No.5以降をいつどのように実施するかまだ考え中です。また今後、年次開催とか隔年開催のように周期性をもたせるかどうかも未定です。低予算での実施を余儀なくされていますので、日頃から準備をしておいて、出来るときしたくなったときにするという選択肢もあります。
ぼちぼちと静かにではあっても永く続けてゆきたいと考えています。
file 1 本間正英
1931年 新潟県出身
1956年 東京芸術大学日本画科卒業
1957年同専攻科修了
1982年 日本美術院特待推挙
前田青邨、平山郁夫に師事
日本美術院特待 日本美術家連盟会員
誠実に生きて働く普通の人々の生活や心情を表現したいと、私は絵の主題にしています。
生まれ育った新潟や佐渡は農家や漁師の方が身近にいて、その方達の純粋さや逞しさに触れ、敬愛し、働く姿を描いてきました
三十年前、訪れたバリ島は農耕、信仰、芸術が一体となった神々のすむ不思議な世界でした。人間も豚も鶏も自然を構成する同じ要素のようで、澄んだ瞳の子供と、微笑む人々には時間もゆったり流れていました。
バリの人々の生活の支えはヒンズー教にありますが、供物を載せて歩く華やかな祭りとガムラン音楽に象徴されるダンスやワヤンなどの芸能と緻密な絵画、彫刻、染色、織物など、伝えられた道具を大切に使いながら、すべて高度で美しく、夢幻的な雰囲気さえ感じました。本当の豊かさとは何か、人間の在り方や生き方を考えさせられました。それから幾度も訪れ、目にするバリの人々の日常生活の一端を描いてみました。
富士河口湖町に二十年来移り住み、勝山の水彩画を描く仲間たちと写生に出かけたりして、絵を描く楽しみを共有しています。
file 2 櫻井孝美
1944 埼玉県出身
1963 埼玉県立不動岡高等学校卒業
1967 独立展に出品
1968 日本大学芸術学部美術学科卒業 富士吉田市にアトリエをかまえる
1976 土日会結成に参加。以後毎年出品
1978 自由美術展で佳作賞受賞
1983 山梨芸術祭賞受賞
1984 山梨県新人選抜展で山梨県立美術館賞受賞
1985 東京セントラル美術館油絵大賞展で大賞受賞 IBM絵画イラストコンクール展でグランプリ受賞
1986 現代美術の祭典(埼玉県立近代美術館)で準大賞受賞
1987 第22回昭和会で昭和会賞受賞
1988 第31回安井賞受賞 富士吉田市文化功労賞受賞 野口賞受賞
1990 両洋の眼('91-'92'95'96'06'-09)
1991 現代日本絵画展出品(北京、東京)
1994 21世紀の旗手 日本の絵画 1994展出品
1996 個展(池袋西武アートフォーラム)
1997 「櫻井孝美自選展」(山中湖高村美術館)
1999 櫻井孝美展(日本橋三越)
2000 『SAKURAI』展 (パリ MBギャラリー シャモニー市美術館)
2002 日本・中国現代美術展(ニューヨークアジア美術館) 安井賞40年の軌跡展
2004 「歌会始御題によせて」 展 (式年遷宮記念神宮美術館)( ́06)
2008 日中国際交流芸術展(北京故宮博物館太廟大殿)
2009 21世紀・絵画・手の仕事展(丸の内行幸地下ギャラリー)
2010 上海世界博覧会中・日韓美術作品交流展覧会 (上海美術館)
日本大学芸術学部美術学科講師 土日会代表
「赤光」
夏目漱石の『草枕』の冒頭に「...生きにくい世の中だと悟ったとき詩 が生まれ画ができる・・・」とあります。私は、逆境にあっても「生きるという希望」が漱石のいう詩であり画であると解釈しています。私の住む富士吉田では新月の闇の中でも聳え立つ富士山を臨むことが できますが、その気高さを映し出すのは日月の光です。光は希望です。私が描く富士山は光を描くことだと思っています。私の絵を見て「ゼロとは無限大だと気付いた」、「もう一度生きたい」、「考えが死から生に変わった」と言ってくれた人たちがいました。見出したこの希望の詩から、私は描き続ける力を頂いています。
file 3 前田康成
1950 山梨県富士吉田市出身
1969 虫プロダクション入社
1978 郷里山梨に拠点を移す テレビアニメ番組「まんが日本昔ばなし」(愛企画)の演出・作画にたずさわり、16年間で90作品をてがける
1985 「まんが日本昔ばなし」10周年記念劇場長編アニメーション「ごんぎつね」の制作で監督を務める
1991 学研大阪映画「白い馬(馬頭琴)」監督
1992 畳460畳の河童絵「河童ちゃん」を地元の中学生と共に制作
2002 東映教育「世界一美しいぼくの村」「ぼくの村にサーカスがきた」監督
2003 虫プロ「トキ 縄文・弥生・奈良・江戸時代」演出・作画
2004 東映教育「ひびけ和だいこ」監督グループタック「山伏と狐」と「片羽千里」演出・作画
2006 富士河口湖町いやしの里 大型紙しばい「ふう爺さん」制作
2009 個展「今の昔展」山梨県立美術館ギャラリーA
2009 昇仙峡影絵の森美術館「前田康成の世界」展(~2010)
2010 高鍋町美術館特別展「東ちづる・前田康成 二人展」
http://www16.ocn.ne.jp/kousei/
鉛筆馬鹿物語
今から30年前、私は東京から山梨に戻り、家でアニメの仕事をしていました。アニメって何? まだ、そんな時代でした。当時、私は近所で鉛筆を買い、手に数本の鉛筆を持って歩いていると後ろから数人の小学生達がやってきて「えんぴつバーカ、えんぴつバーカ」とはやしたて楽しそうに私の後からついてくるのです。いま思うと、のんきでのどかな時代でした。その頃は、もう「まんが日本昔ばなし」を描きはじめていました。当時の小学生は大人になり私はというと相変わらずの鉛筆馬鹿なのであります。
file 4 百鬼丸
1951 山梨県富士吉田市に生まれる
1969 山梨県立吉田高等学校卒業
1973 東洋大学工学部建築学科卒業
1977 いくつかの職業を経たのち切り絵を始める
1980 雑誌「旅」(JTB)でプロデビュー
1980年代
・文春文庫、早乙女著 「おけい」 で書籍カバー画を担当 現在約700冊の単行本・雑誌・文庫本等のカバー・表紙画 を担当
・サンデー毎日の表紙を1年間担当
・1987 市川猿之助カレンダー (富士ゼロックス)制作
・第一回国際アニメーションフェスティバル (広島)で手塚 治虫作品「村正」のキャラクターデザインを担当
・1988年度新聞広告優秀賞受賞
1990年代
・朝日新聞夕刊連載 白石一郎著「異人館」插丨绘担当
・雑誌「旅」(JTB) で 「フランス紀行」「青森・十二湖紀行」
「宇治紀行」「松代紀行」で切り絵・文章を担当
・宇治市役所ロビー陶壁画 (3m×9m)制作
・NHK総合 シリーズ挑戦・「百鬼丸」 出演、スポット番組「大樹の詩」5編の切り絵制作
・週刊新潮連載 安部龍太郎著「日本史・血の年表」 佐江衆一 著「クイーンズ海流」 挿し絵担当
・挿絵画家グループ「草鞋之会」結成(原田雄夫・蓮田やすひろ・西のぼる・百鬼丸)
・1997 第6回日本文芸クラブ大賞美術部門受賞
2000 年代
・2001 週刊文春小説挿絵連載 宮部みゆき著「ゼプツェン」 挿し絵連載
・2002 毎日新聞朝刊小説挿絵連載 北方謙三著「黒龍の枢」挿し絵連載
・富士吉田市立病院ロビー 陶壁画 (3m×7m)制作
・山梨県立吉田高等学校陶壁画 (1.8m×6m)制作
・2006「吉田の火祭りポスター」 富士吉田市役所にて公開制作
・2007「風林火山博」 公式イラストレーターに就任
・2007「吉田の火祭りポスター」 富士吉田市役所にて公開制作
・2007 挿絵画家グループ 「草鞋之会」展(銀座伊東屋)出品
・2008 個展(銀座伊東屋)
・2008 富士吉田市火祭りポスター制作
・2010切り絵・モダニズムの世界展 (山梨・富士川切り絵の森美術館)出品
ホームページ http://www.hyakkimaru.com/
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