Joan Miró
2013年9月21日(土)-12月23日(祝・月)
シュルレアリスム の巨匠のひとりに数えられ、20世紀スペインの代表的アーティストとしてパブロ・ピカソやサルバドール・ダリと並び称されるジョアン・ミロ(Joan Miró 1893-1983)。生まれ故郷である地中海沿岸部カタルーニャ地方の風土にはぐくまれた感性で、太陽、月、星、鳥などをモチーフに、自然との交感からインスピレーションをえた創作活動は、絵画はもちろん、彫刻、陶芸、壁画、タピスリー、舞台装飾など、多岐にわたりました。確かな技術によって裏打ちされつつも、童子的天真爛漫さで奔放に謳いあげた宇宙的イメージは、20世紀美術に輝かしい足跡を残し、また、のちの抽象表現主義などに大きな影響をおよぼしたといわれます。ミロが版画に手を染めたのは30歳代になってからですが、その生涯に2500点を超える版画作品を残しました。
本展はミロ最初の版画作品「一羽のカササギがいた」から最晩年のものまで、選び抜いた約150点の作品で構成し、造形詩人と云われたミロの世界をご覧いただきます。
◎ジョアン・ミロ 略年譜
1893年 バルセロナに生まれる
1907年(14歳) バルセロナのラ・ラ・ロンハ美術学校に入学。
1910年(17歳) 両親の希望で商社に勤務したが、神経衰弱を患い療養する。
1912年(19歳) フランシスコ・ガリ美術学校に入学。
1918年(25歳) バルセロナのダルマウ画廊で初めての個展を開催。
1919年(26歳) 初めてパリを訪れ、ピカソらと交友を結んだ。
1920年(27歳) トリスタン・ツァラ、マックス・ジャコブらに会いダダ運動に参加。
1922年(29歳) 9カ月を費やして初期の代表作『農園』を制作。
1924年(31歳) ブルトンら詩人達と知り合いシュルレアリスム運動に参加。
1926年(33歳) ロシアバレエ団「ロミオとジュリエット」の舞台装飾をマックスエルンストと共同で制作した。
1936年(43歳) スペイン内戦勃発のためフランスに亡命。
1937年(44歳) パリ万国博覧会のための壁画を制作。
1940年(47歳) 代表作である『星座』シリーズの制作を開始。スペイン・マリョルカ島に移住。
1941年(48歳) ニューヨーク近代美術館で大規模な回顧展
1942年(49歳) バルセロナに戻り居を定めた。
1947年(54歳) 初めてアメリカを訪れ、シンシナティのテラス・ヒルトン・ホテルの大壁画を制作。
1954年(61歳) ヴェネツィア・ビエンナーレで国際版画大賞を受賞。
1956年(63歳) 母と妻の故郷であるマジョルカ島パルマに移住。
1958年(65歳) ユネスコ本部ビルのための陶板大壁画が完成。
1966年(73歳) 東京国立近代美術館、京都国立近代美術館で大規模な回顧展。
1969年(76歳) 大阪万博のために陶壁画制作。
1972年(79歳) バルセロナにジョアン・ミロ財団が創設された。
1978年(85歳) 85歳を記念してマドリードで大規模な回顧展。
1980年(87歳) バルセロナ大学より名誉博士号が授与された。
1983年(90歳) 12月25日マリョルカ島のパルマにて死去。
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