1995 1/1(日)—2/26(日)
休館日 火曜日, 1/18-20,2/13 ※1/1,2,3は開館いたします。
芸術家の感性とか伎倆といった、修練によって獲得されるものよりもっと深奥なところにある、無意識の領域に近い心理のうごめきを画面にあらわしたような、かといって粗野へとは傾かず洗練された知性をあくまでも保ちながら作家の心がそのおもむくままに画面の上で無心に遊び興じているような絵。佐野繁次郎が展開した独特な造形世界がある。
画家佐野繁次郎(1900-1987)は大阪船場の墨問屋に生れ、少年時代をここで過ごした。商家の一人息子は15歳の時母親から油絵道具を買い与えられ、この頃すでに画才の芽生えを示していたらしい。24歳のとき、信濃橋洋画研究所に入所して画技を磨いたが、ここでは小出楢重の指導を受け、また同世代の洋画家佐伯祐三とも早くから親交があったという。1929年29歳の時、二科会に初入選して新人画家として世に出たが、絵画の仕事以外に、当時親しく接していた文学者たちの本の装丁や新聞小説の挿絵、広告看板のデザインもてがけるなど多才ぶりを発揮したという。1937年、37歳のとき渡仏、アカデミー・ジュリアン、アカデミー・グランショミエールに学び、ここではアンリ・マチスに師事し影響を受けたが、一方で ピカソの作品に触発され自作にコラージュの技法を取り入れたりした。また戦後、50歳代に入ってなお再渡仏し、新時代の芸術の摂取につとめるなど、独創性を探求する意欲は最晩年まで衰えなかったという。
この遺作展は、作家の没後、遺族の意思により神奈川県立近代美術館に寄贈された作品群、絵画、彫刻あわせて93点のほか、装幀本などの資料によって構成し、この極めて個性的な作家の画業を展望するものである。
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